大久保宏明

大久保 宏明

産婆である祖母にとりあげられ、横浜市内にて出生。
父の夢を継いで法律を学び、検事・弁護士となる。
その後転身し、現在は行政書士・社会保険労務士。

~親子の関係について想う~

私の父は、生まれてすぐに捨てられた子でした。
産婆であった祖母が、私の父を養子として受け入れてくれました。
父は、亡くなるまで、実母を探していました。
約5年前、年金記録調査が私の手元に届き、はじめて父の実母(私にとっては実の祖母)を知りましたが、100歳を超え行方不明になっているため、会うことはできませんでした。

私の父は、裁判所に勤務しながら夜学に通い、弁護士を目指していました。
病気のため志を遂げることはできなかったのですが、父の夢は、ごく自然に私に受け継がれました。
もっとも、私の中で美化されていた弁護士の世界は、現実とは程遠いものでしたが。

昭和48年ですから、私が大学に入った年ですが、菊田医師事件が世の中を騒がせていました。

菊田先生は、産婦人科の医師でした。
子をおろしたいと訪れる女性に、生命の尊さを説き、中絶を思いとどまらせる、それが菊田先生の信念でした。
しかし、生まれた子を育てることができない女性が多く、菊田先生は、実の子として育てたいと切望している人たちに生まれた子の将来を託すことにしました。

他人の子を、貰い手の実子とするためには、医師として、虚偽の出生証明書を書かなければなりませんでした。
虚偽診断書等作成罪(刑法160条)が成立してしまうことになります。

事件として発覚した際、時の法務大臣は「子が幸せになるなら、よいではないか」と述べたそうです。
しかし、医師会の刑事告発により、菊田先生は有罪(略式手続による罰金)となりました。
この際、菊田先生は、子の命を守るための法整備がないことを主張するために正式裁判で弁論する意思もあったのですが、実に220名という生みの親の個人情報を封印することを条件として、裁判で闘うことを断念したのです。

この菊田医師事件は、国民の議論を呼び、政治家をも動かしました。
そして、昭和62年、幼少期に実の親子関係を終了させ、養親だけが親となる「特別養子縁組制度」が創設され、ようやく子の福祉を重視する新たな態勢がスタートしました。

特別養子縁組制度により、生まれた子は、実の親を知らないまま、養親との唯一の親子関係のもと、幸福に暮らしていけるだろうと考えられました。
しかし、特別養子縁組制度は、あまり利用されていません。

子のいない夫婦は、養子がほしいのではなく、実子として育てたいのです。
秘密を抱えながらでも、普通の家庭というものに憧れ、幸福を追求するわけです。
子にとっても、そのほうが幸せです。
だから、医師に虚偽の出生証明書を書いてもらってまで、嫡出子としての戸籍を作ってしまうのです。今でも。
もちろん、犯罪が成立するのですが、人として責めることができるでしょうか。

他方で、生みの親と会いたいという子の心情を、法律などで抑えることはできません。
私の父が、どれほど実の母に会いたかったか、ときどき想うことがあります。


さて、きょうは、民法総則-権利能力・行為能力について、勉強してみましょう。
ある程度、学習経験がある人のための要点整理です。